Monthly Archives: 4月 2020

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S.O.S. Teniamo l’Italia (イタリアを支援しよう)キャンペーンへの在日本イタリア大使館正式なサポート決定

在日本イタリア大使館 駐日イタリア大使 ジョルジョ・スタラーチェ氏から公式に連絡があり、“テゾーリ・ディ・イタリア” のプロジェクト、S.O.S. Teniamo l’Italia (イタリアを支援しよう)キャンペーンへのサポートが正式に決定されました。今、互いに団結することが肝要な時期であり、このサポートは、大変重要な意味を持ちます。イタリア大使館からイタリア本国の企業に対する支援をいただけることは、今後メイド・イン・イタリー製品の輸出を奨励していくうえでとても重要な意味を持ちます。

以下はスタラーチェ大使の言葉です。 “ COVID – 19 によって引き起こされた我々全人類の健康を脅かしている緊急事態は、イタリア本国、そしてイタリア中の産業界、特に中小企業に新しい課題をつきつけています。先日、イタリア政府当局によって明言されたように、イタリアからの諸外国への輸出は国内の企業にとって根本を成す需要な要素であり、今後世界に向けてメイド・イン・イタリーの再建を構築していくうえでの柱の一つです”

スタラーチェ大使の言葉を借りれば、特にイタリアの中小企業がこれから直面することになる困難を互いに認識し合うことが必要不可欠であり、また、メイド・イン・イタリー製品の輸出がイタリア経済回復への重要な鍵を握るということを、我々のような団体が声高に宣言する必要があると考えます。

したがって、在東京イタリア大使館のソーシャルネットワーク、また、報道機関を通じて S.O.S. Teniamo l’Italia (イタリアを支援しよう)キャンペーンを広く宣伝していただけることになりました。

テゾーリ・ディ・イタリア ネットワークは、在日本イタリア大使館に深く感謝の意を表するとともに、イタリアと全世界の人々にもう一度このキャンペーンへの参加を呼びかけます。みんなで団結すれば、我々の国、イタリアに実質的な貢献と、継続的で確実な未来をもたらすことができるはずです。

団結すればきっと大丈夫!

By |4月 7th, 2020|ニュース|0 Comments

Riccardo d’Urso

リッカルド ・ドゥルソ 経歴

1970年11月1日ナポリ生まれ
ナポリ東洋大学卒業、日本語選考
東京長沼スクール、大阪外大、日本の文部省の奨学金を受け京都花園大学にて日本語と日本学を学ぶ
1994年より在日本
1998年よりマーケティング コンサルタントとして日本の重要な貿易会社に協力し調査、研究に携わる。また有名百貨店のイベント企画に従事しイタリア製品とそのブランドマネージメントに務め、販促活動に貢献する。
2001年から2009年まで「日本におけるイタリア年」の名のもと、イタリアのベンチャー企業の発掘のためイタリア外務省に協力。
2010年 「ストリーム・イット・ジャパン」、初めてのイタリアネットテレビのプロジェクトを立ち上げ、経済産業省のパックアップによる日本におけるイタリアのプロモーションを行い、直ちに様々な重要なイタリアの団体からの引き合いを受ける。
2012年、外務省高官からの依頼により、韓国の麗水(ヨス)とオランダのフェンローの両エキスポ
においてイタリア館のウェブマーケティングの営業を任される。
2013年、イタリア文化遺産協会(レ・マッペ・デェイ・テソーリ・ディ・イタリア)の専務理事を引き受け、全てのイタリア省庁とミラノエキスポに支持される。名古屋にその支部を持つ本協会は2014年に「特定非日本イタリア産業文化推進協会テソーリ・オブ・ジャパン」と「ダブルジェイ・ネットワーク」を築く。

2014年よりグラナ・パダーノチーズ保護協会の日本代表に就任、2018年まで日本においてグラナ・パダーノチーズの普及促進活動に従事。また、ナポリの老舗ピッツェリア「アンティーカ・ピッツェリア・ダ・ミケーレ」アジア、極東エリア開発における総責任者として、日本の東京、福岡、横浜にアジア初の3店舗開店を導く。

2017年1月、イタリアの雑誌「テゾーリ・ディ・イタリア マガジン」を買収。イタリアの重要政府機関、省庁より後援を受け、雑誌編集、出版活動をスタート。現在、編集長として世界中に200万人の読者を持つテゾーリ・ディ・イタリアネットワークを展開中。

By |4月 6th, 2020|Senza categoria|0 Comments

橋本女史の10のルール

世の中には触れるものすべてを ”金” に変えてしまう人々がいます。

負のエネルギーをフィルターにかけ、正のエネルギーに変えてしまうように、あらゆることに対して解決策を持っている人々です。そして、彼らが女性である場合、日本のように、いまだ家父長制の伝統が根強く残っている国においては、彼女たちの生き方や行動がより大きな意味と価値を生み出します。橋本登志代さんもそんな女性たちのうちの一人です。

名古屋城を眼下に見下ろす魅惑的なロケーションのホテルウエスティン・キャッスルナゴヤにて、橋本さんからお茶に招待されました。私からのいくつかの短い質問にこたえていただきながら、橋本さんのお話を語っていただく中、無邪気な笑顔と愛らしさで、彼女はバッグから真っ白な数枚の紙を取り出し、”ほら、ここに私から世界中の女性に向けてのささやかなアドバイスを書いてきたの” と一言。

彼女が語り、橋本女史の10のルールが浮き彫りになるとともに、次第に ”金” のオーラが私たちを包み始めていることに気づきました…..

By |4月 2nd, 2020|ニュース|0 Comments

日いずる国の伝統芸 ー 岐阜の いにしえから続く伝統漁法 ”鵜飼い”

“ウミウ”を利用した淡水での鮎釣りである”鵜飼い”は1300年の歴史を持つ伝統漁法で、岐阜県の観光文化遺産のひとつとして名高く、とても人気があります。

日本列島の様々な地域でこの鵜飼い漁法は行われていますが、岐阜の長良川で行われる鵜飼いのみが天皇家管轄のウミウによる、”御料鵜飼い” と呼ばれ、皇室に唯一献上できる鮎を捕る鵜飼いとして宮内庁により保護されています。鵜飼いのシーズンは毎年、5月11日から10月15日までで、この期間、岐阜の街はまるで戦国時代にタイムスリップしたかのように姿を変え、舞妓が街を闊歩し、色とりどりの提灯がいたるところに飾られ、筆舌に尽くしがたい日本の魅力をあらためて実感させられます。

夕暮れ時に川面を滑る6隻の鵜飼い船には、それぞれ一人の鵜匠(宮内庁より授けられた職務)と二人の船頭が乗り、首輪でつながれた6~8羽のウミウを巧みに操りながら、大きなかがり火の照らす明るみのもと、鵜飼いが繰り広げられます。

鵜匠は「ほうほう」と声をかけウミウを励まし、彼らを自在に操る一方で、船頭が船縁を叩き、鮎をひきつけます。漆黒の暗闇の中、流れる川の音、船頭がゆっくりと舵をとる舵棒の音、かがり火の真っ赤な炎、繰り返される鵜匠の交互の掛け声...1300年間変わらず続いてきた魅惑的な音と視覚の幽玄なシーンが創り出され、見学者を魅了します。

By |4月 1st, 2020|ニュース|0 Comments

日本の名城めぐり ー 名古屋城

壮麗で美しい名城を間近で見ることは常に大きな感動を呼び起こします。イタリア、日本ともに、美しい名城の数は数えきれないほどです。そのどれもが魅力的で、異なった特徴を持ち、勝利の象徴として讃えられる城もあれば、悲劇の舞台として運命を終えた城もあり、どの城も長い歴史と昔のしきたりを物語っています。

テゾーリ・ディ・イタリアとテゾーリ・オブ・ジャパンが選ぶ、よりすぐりの名城巡りは名古屋城からはじまります。日伊両国の珠玉の名城を鑑賞するだけでなく、その魅力をクローズアップし、世界中の ”お城マニア” を魅了し、驚愕させつづけることでしょう。

By |4月 1st, 2020|ニュース|0 Comments

日本の手しごと ー 長良川沿いに息づく和紙の伝統工芸

日本の中部地方 濃尾平野を流れる長良川沿いには古くから受け継がれてきた名高い伝統工芸の数々が息づいています。

イタリアのアマルフィと姉妹都市関係を結んでいる、美濃市で作られる美濃和紙を用いた手づくりの “うちわ” 、フィレンツェと姉妹都市の関係にある岐阜市で作られる “和傘” など、多くの手工芸の伝統がこの地で脈々と受け継がれてきました。

静寂と日本家屋の木の香りに包まれながら、畳に正座し、緑茶をすすりつつ、黙々と作業に打ちこむ職人の傍らで、その手から生み出される美濃和紙を用いた伝統工芸品の数々を見学することは、さながら日本の文化と伝統の真髄をそのまま体感しているような経験でした。

日本の美しい文化遺産の魅力をイタリアの読者の皆様に紹介し、より饒舌に語れるよう、今回、日本を訪問しましたが、あらためて、これから始まるこのプロジェクトに対する情熱、

つきない探求心、責任をかみしめるとともに、悠久の歴史を持つ魅惑の国、“日本“ からイタリアへとつながる新しい絆を構築していくことに限りない歓喜の思いを感じています。

By |4月 1st, 2020|ニュース|0 Comments